黄金色のバトンと白銀色のバトン『突然』
あれ……。
みゃおん、鳴いてみる。
あれれ。
みゃおん、みゃおん、誰にも声が届かない。
あれ。ボクは、どうしたんだっけ。
いつものようにドアの隙間すきまからにゅるんと抜け出して、「おうち入って!ご飯よ!」の声に振り返ったものの、「まだあとでいいにゃーん」とシッポをくねらせたら、「もうっ!忙しいのにっ」ってお母さんが顔を引っ込めて。
その後、町内をぐるっとお散歩して、ミケに会って、散歩される犬を眺ながめて、家に帰って「まぉん、まぁおーん」と鳴いてみたけれどドアは開ひらかず。
しょうがないや、と暖あたたかく熱を帯びた車のタイヤのそばでうたたねしようかな、と……、してたんだった?
頭をブブンと振ると、お母さんの声が聞こえた。声、なの?
あおぉぉあおぉぉん、地から響ひびくような声、お母さんが泣いている。
声を頼りに、歩いていく。軽い体、ぼんやりした頭。
お母さんが家の玄関の前にいた。
赤く染まったトラジマの何かを抱いて、泣いている。
トラジマの、何?
「みゃおーん、みゃおーん」
ボクはお母さんを呼ぶ。
でもお母さんは気づかない。あおぉぉん、おぉぉぉんとお母さんが響く。
「みゃおーん、まぁおーん」ボクは呼ぶ。
おぉぉん、おぉおぉんとお母さんが泣く。
トラジマの何かはキレイに拭ぬぐわれ、白いタオルを敷いたダンボール箱に寝かされた。周りにいっぱい花が並べられて、ボクの好きなオヤツと煮干にぼしが置かれていた。
サクがダンボール箱の周りをクンクンと匂においを嗅かぎながらしばらくウロウロ歩き回り、箱の見えるところに寝そべった。
ボクの家族がみんな涙を流していた。お姉ちゃんもお母さんにしがみついて「なんで?なんで?」と言いながら泣いていた。
ボクもみんなの仲間に入れて欲しくて「みゃおーん、みゃおーん」と鳴いてみたけれど、ボクの声だけ届かない。
それから。
毎日、お母さんは声を殺して涙を流す。ごめんねごめんねと呪文のように唱える。
お母さんは、毎日、後悔を100数える。
「ああしなければよかった、こうしなければよかった」
そうして、ごめんねの呪文を唱える。
ボクは、いつだって笑っているお母さんが好きなんだけど、怒っているお母さんも、まぁきっと本気じゃないから全然好きなんだけど、泣いているお母さんは、嫌だ。
ボクたち動物は、そばにいる人の気持ちが伝染でんせんするから、人が怖がったり緊張すると動物も不安になるのよ、って言っていたのはお母さんなのにさ。
ニコニコして笑っていてあげれば、動物たちも安心して心が安らぐわよ、って言っていたのはお母さんなのにさ。
お母さんが、声を殺して泣く。朝、お姉ちゃんたちが学校に行った後、夕方、夜中。
お母さんが泣くと、お母さんが恋しくなって「まおーん、あおーん」とボクも泣く。
ねえ、ボクたち、どうしたらいいのさ。
「ねぇ、ねぇねぇ、ちょっと来て」
囁ささやくような声が聞こえた。
「こっちこっち、ここだよ」
声の方を見上げて目を凝らす、首をかしげながら、地を蹴って声を目指すと、そこは大きな大きな雲の上。
子ネコの形の金色がかった小さな雲のかたまりが、「こっち、こっち」と揺ゆれていた。
「なんだ、おまえは?」
「ボクはこれから『生まれいずる命』だよ。ねぇ、バトンタッチだ。大丈夫、ボクはたぶんあの人たちの悲しみを食べるために呼ばれてる。彼女たちの心の奥に結ばれた黄金色きんいろのバトンが目印だって、ここに存在する前から、ボクはずっと知ってた気がするんだよ」
なんだ、こいつ、何を言っているのか全然わからない……。
「あー、ごめんね、死んじゃってからも、ずっと下にいたんだもんね。空の国のことはさ、あそこにいる月の精に聞いたらいいよ」
死んじゃった……。ボクが。 ボクが? そっか、やっぱりそうか。
「ねぇ、大丈夫?」
大丈夫じゃない。大丈夫じゃない。
「もっと一緒にいられると思ってた」
「うん」
「毎日が続くと思ってた」
「うん」
「でも……、時間なんだな」
「うん」
「バトンタッチして、大丈夫なんだな」
「うん」
「みんな笑顔に、明るい家族に戻るんだな」
「うん。約束する。ボクはずうっと前から、黄金色きんいろのバトンに呼ばれている。必要なときが来たなら、ボクの番だ」
「わかった」
「ねぇ、ボクたちの心も、人間に伝染うつるよ。キミが安らいだ穏やかな声で甘ぁく鳴けば、聞こえなくても届くよ、きっと」
「そうかな」
「うん」
こいつ、ここからずっと見てたんだな。
「よっしゃ、最後にちゃんと挨拶あいさつしてくるよ。そしたら、おまえに託たくす!」
「うん」
夜、お母さんがお姉ちゃんの宿題をぼんやり眺ながめている。
「みゃあ、みゃぁお」
お母さんの悲しみに引っ張られないように、いつも似合わないと言われてた極上ごくじょうのハイトーンで鳴く。
「みゃあお」
お母さんが顔を上げる、ポロリと涙がこぼれた。
「ああ、あなたが大好きだったの。本当にごめんね、いつもいてくれて、本当にありがとう」
お母さんがつぶやいた。
お姉ちゃんの目からも涙がポロリ。
「大好きだったのに、ね……」
それで、充分だよ、ありがとう。
二人の涙が空くうを漂ただよい、膨ふくらみ、大きな白銀ぎんのリボンになって、ふんわりとボクのしっぽに結ばれた。
これが、ボクのバトンか。
にゃあぉ…、おーけー、大丈夫だよ二人とも。
ほんと、ありがと。
翌朝、お母さんの仕事場に、臍へその緒おのついたままの子猫たちが拾われてくる。
ここからは、もう彼の物語だ。
ボクはもう少しの間、お母さんとお姉ちゃんが、あいつに笑顔にされるまで、うん、あと少し見ているよ。
ボクのバトンも、きっと貴女あなたたちのために。
おわり